言葉に付くイメージってすごいですよね。
実際はそんなにいい言葉じゃなくても世間の多くの人がいい言葉のように使っているとそういう風にしか聞こえなくなってくるという現象がありますね。
たとえば「子は鎹(かすがい)」って言葉がありますが、私はこの言葉に対して「子供がいることで夫婦の絆はより深まり、子供がいることは何より素晴らしいこと」というような意味合いで使われていると思っていました。
ずっと美しい言葉のようなイメージがありましたね。
ですが、よくよく考えると「鎹」ってあれですよね?木の柱と柱を繋げている釘のような金属部品のことですよね??
つまり、この言葉はそのままとれば「子ども=金属部品」ってことです。
子供という存在は、固定されて動けなくなるあの部品と同じという意味です。
とすると、綺麗なイメージとは無縁で、子供がいると固定されて動けないっていう意味の言葉になってしまいます。
「子は鎹(かすがい)」っていい言葉だと思っていましたが、案外世間が綺麗なイメージに捉えているだけで、実際は釘で固定されて動けなくなるのと同じような存在だよって意味なんだなと思いました。
昔から言われている言葉ですから、昔から子供の存在はそのように捉えられているということですよね。
その言葉通り、私は子供は自分の足枷になるだろうとしか思えないので欲しくないのですが、なんだかこの言葉の意味に納得してしまいました。
だけど、親子関係って本当に不思議です。
親は子供のためにどんなことでも頑張れるし、愛情を注げると思われがちですが、そうじゃない親もいる。
子供に全然愛情を注がない親だって実際にいるのです。
私は、正直親に十分愛情を注いでもらえたかというときっと全然だと思います。
なんだろ・・・子供ながらに愛情が薄い環境なうえに理不尽に圧し掛かってくるものが多くて負担だらけだったんです。
愛情が足りないどころか、自分が愛を与えてあげないといけない状態だったのでカッツカツだったのです。
だから、大人になった今、ようやく自分に愛を注げるようになれて、これからだって時に子供なんか産めないんです。
子供を産んでしまえば否応なしに愛情を求められますし、周囲からも愛情を与えるべきだと言われるわけですから・・・
自分の逃げ道なんて本当になくなるんですよ。
現に、ママ友関係の話しでカースト制度だとかいじめだとか・・・そういう話しで深く悩んでいたり争いをしているのを良く聞きますが、それはつまり子供を産んだからといって必ずしも幸せになれるとは限らず、逆に満たされずにストレスだらけである人の方が多いことの証明だと思います。
これまで愛情が枯渇していた私ですから、もう全てにおいて自由になりたいのです。
自分に愛情を注ぎまくりたいのです。
ですから、子供を産まない人生への不安よりも、子供を産んで自分に愛情を注ぐ余裕がなくなる不安の方が大きいのです。
なので、もしかすると「子は鎹」という言葉のニュアンス一つに自分の正当性を見出したくなるのかもしれません。
だからこそ、卑屈な人生にならぬよう同じ価値観で生きる人との絆をこれからは増やしていけたらいいなと思っています。