数々の文献を読まれた方にとって、最終的に行きつくところが「無償の愛」であることは、もう周知のことでしょう。
ただ、無償の愛という言葉が独り歩きして、それがとても神聖で全てのゴールのように捉えられがちですが、実際の捉え方としては、「自分が出来ること、したいことをただするだけ」というところにあるのです。
そこに、労力が伴おうが、消費が起きようが、そうすることが自分の真の思いに沿うことならば、それは無償の愛に他なりません。
自分の純粋な思い、それこそが真に尊いものなのです。
自分の行いが誰にも知らされず、誰から褒められることも、誰からも気づかれず認められることがなくとも、それでも全く構わない。
ただ、自分の思いに忠実に行動した結果。幸せにしたい誰かが幸せになってくれればそれでいい。
そうあることが自分の幸せだから。
もしも望みが叶わなくとも、結果が伴わなくとも、それが自然の結果だと受けとめることも出来る。
今の自分に与えられた力と感性を駆使して出来る限りのことをする。
人事をつくして天命を待つのみ。
無償の愛ってそういうもの。
意図するものでなく、後々「ああ、そうか・・・」と、ふと思えるものだったりします。
無償の愛は与えようと思って与えるようなものではないからです。
これは、一人一人が心から素晴らしいと思えるものに出会った時に、自然とそういう心境になるものです。
地獄のような試練を乗り越え、多くのエゴをそぎ落とし、どん底から這い上がり、その頂きにあるもの。
言葉には表せない、真に尊いもの。
大切なものを守りたい、そのために自分が出来る限りのことをしたい。
天に与えられた力、自然と出来てしまう力。
そんな力を、想いに忠実に再現するのみ。
ただ、それだけなのです。
ツインさんとの出逢って、魂的時間の流れで考えると、子供が成人して社会人になる、ということと同じなのではないでしょうか?
成人して一人前になるということが、魂レベルでは、ツインさんとの出逢いからの、一連の流れに相当すると思います。
だから、ツインさんと出逢うということは、幸せもありますが、辛さ、しんどさ、がとても大きいのだと思います。
ツインさんとうまくやっていけるようになれば、それは、魂レベルでの成人式を迎えたということなんだと思います。