スピリチュアル

子供をつくるよりも今ある命を救いたい

運命的な存在に出会ったことによって、そこからは目まぐるしい日々を送ることになり、自分革命が次々に起こって、感性が鋭くなって自意識も凄く高くなってしまっていました。

結局自分の内側に眠るインナーチャイルドが暴走したというわけでしょうね。

一度身についてしまった凝り固まった固定概念を一気に崩すには、これくらいエキサイティングな意識に到達しないと無理だっただろうなとは思います。

自分を不幸にしていた多くの固定概念は、そのおかげで一気に崩れて去ってくれましたからね。

それだけでなく、金脈を掘り起こしたり、自立するための大きな決断を誰にも頼らず自分の意志だけで下すには、まともな精神状態じゃまず無理だったでしょう。

だから、今にして思えば、あの時期の狂気じみた精神状態は私に起きて然るべきものだったのだと思っています。

何かを成し遂げるかどうかは今のところ分かりませんし、まだまだこれからですが、少なくとも多くの方に影響を与える仕事は出来ているかとは思います。

今は、本当に本当にこれまでになく平和な毎日を過ごせるようになっています。

環境的にも経済的にも精神的にも平和そのものです。

「自由」と「平和」というかけがえのない宝物を手にしています。

そして未来への希望も。

私にとって、この平和な毎日は子供の頃からずっと手に入れたかったものなんですよね。

なぜかというと私の場合、家庭環境が不安定で毎日のように戦争のような凄まじく騒がしい環境だったものですから、幼い頃からずっと静かで平和な日々を送ることを夢みていたように思います。

いわゆる機能不全家族です。

機能不全だけならまだしも学校でもストレスを感じているうえに、家に帰っても家族が毎日大声で喧嘩ばかりしていてストレスにしかならない、なので近くの駅のホームの影に身を隠してばかりいました。

それはもう成人を迎えるまで何年も続きましたし、その先も改善しそうもなかったため逃げるように家から出て、文無し身寄りなし一人で東京に出てきて人生を切り開いていきました。

そんな最悪な環境から這い上がってきたわけですから、ようやく手にしたこの自由と平和な日々を壊したいとは到底思えません。

じゃあ何がそういった平和な環境を壊してしまうのかというと、結局は身動きが取れない人間関係を作ってしまうことにあるんですよね。

例えば、子供を作ってしまえばもはや身動きが取れない人間関係からはその先一生逃れられません。

子供を作ってしまえば、日々の世話だけでなく義務教育によって、教育機関に縛られる事になります。

起きたくなくても毎朝早くに起きなくてはいけないし、朝ごはんも作ってあげなくてはいけないし、連絡帳にサインしてあげたり、上履きを手洗いしてあげたり・・・

大嫌いだった「学校」というものに、また関わらなければならないのです。

他にもいっぱいありますよね。

毎日毎日分かりきっていることに対して質問を投げかけられ、教えてあげたり説明してあげなくてはなりません。

しかも適当ではだめで、なんて答えれば子供の教育にとっていいのかを考えて答えてあげなければなりません。

何度も何度も何度も何度も。

私からすると、面倒くさいだろうなぁというのが正直な気持ちです・・・。

想像するだけで吐き気がしてくるレベルなのです・・・。

もちろん、コミュニケーション自体を楽しむことが大事だとは思いますが、果たして楽しめるのか?と思ってしまうのです。

自分よりもはるかに未成熟な人間とのコミュニケーションが楽しくないのは今だって実感しているのに、自分の子供だからといって、そうではないと言い切れるのでしょうか。

自分が産んだ掛け替えのない存在とはいえ、同じような学校に通って、同じような教育を受けて、結局同じような人間が出来上がるだけですよね。

それが本当にオリジナルと言えるのだろうか・・・そんなことを繰り返して何が楽しいのか・・・

そこを辿って生まれるのは結局は競争意識ばかりのような気がします。

誰かが勝手につくったルールと同じようなことにまた従わなければならないなんて、私には無理です。

子供が学んでいる事に対して、心から意義のあることだと思えないのです。

子供を枠の中で学ばせることに何の意味があるのか・・・としか思えないのです。

子供へ本当の自由という愛を示してあげられないこの社会を見せることは恥ずかしくはないのかと。

つまり、レールの上を歩くしかない子供の成長を見ていてもしょうがない気がするのです。

しかも、それに何十年と付き合ってあげなくてはいけません。

現実的にお金もどんどん減っていきます。

あまりにも負担が大きすぎて、とてもじゃないですが子供を産みたいとは思えないんですよね・・・

もう、うんざりなのです。

あれだけ嫌な思いをした家庭というものに、また自分が身をおくなんて考えられません。

やっとの思いで自由と平和を手にしたのに、自分がしたいこと以外を強要されて、やりたいことが出来ない人生はこりごりなのです。

ですから、それよりも私は、新しい命を生むよりも、今既に存在している苦しい思いをしている命を助けたいのです。

助けを求めている人はとてつもなく多いのです。

なぜ、殆どと言ってもいい人々が助けを求めているのに、次々にさらに助けを必要とする人間を生もうとするのか。

「助けて!!」と叫んでいる人が、「助けて!!」と叫ぶ人を増やすのです。

人間は何も考えずにポンポン新しい命を生み出しますが、それよりももっとやるべきことがあると思うのです。

苦しんでいる人が本当に本当に多い世の中なのですから、無責任に命を生むよりも、今癒しを必要としている命に対して癒しを施す方が、人類全体としてあるべき姿だと思うのです。

たとえば、ベビーカーに対して冷たい視線を送る満員電車のギスギス感を見て、あれをどれくらい異常なものだと認識出来る感性があるのかどうかです。

新しい命よりも、今生きている大人たちがもっと自分や他者の命を大切にして、心を豊かにして、一人一人がきちんと幸せになっていくべきなのです。

少なくとも、自殺をしなくて済む社会や世の中になってから、子供は増やしていくべきなのです。

そもそも、人間は動物のお世話係なんですよ。

地球にいる生き物を管理する役割があるから高い知能を与えられているのです。

本当はそうあるべきなのです。

しかし、その逆で地球を汚染する方にまわってしまっている。

地球環境を良くするための、その手助けをする方に私はまわりたいなぁ、と今後の人生を考えるのです。

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